「神様が訪ねてくる私」

天聖經 P.1176
 食口たちは、祈らなければなりません。衣食住を克服し、慢心を克服するために祈らなければなりません。人類と神様を解放しようとすれば、どれほどたくさん祈るべきでしょうか。人類歴史の誰よりも、最高に深刻な立場で祈らなければなりません。「いくら大変でも、私たちは、祈りの道を通してこの道を行って見せる」という決意を固めなければならないのです。いつでも、24時間祈るのです。そうすれば、神様が共にいます。皆さんも、皆さんのことを考えてくれる人を訪ねていくのではないですか。神様も同じです。他の誰よりも神様を考え、神様のために奉献しようという人を、神様は、訪ねて行くのです。

マタイによる福音書7章21節 
 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

ロマ書21章1節
 あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

天聖經 P.137
 私たちは、神様を解放しなければならない運命に置かれています。「人類のゆえに神様が拘束を受けているのだ。私ゆえに神様が拘束されているのだ。私という一個体のために神様がサタンの讒訴を受けているのだ。私のゆえにイエス様も亡くなったのだ。私のゆえに聖霊が血のにじむ闘争の歴史を抱いて身もだえしてきたのだ。神様、私に力をお与え下さい。お父様を安息させ、解放の座に移してさしあげます」と言えなければなりません。そのような信仰に飢えた者、希望に飢えた者、愛に燃える者を神様は六千年間求めて来られました。

▲TOP