「私に与えられた 天国の鍵」
「私に与えられた 天国の鍵」
1. 家庭教会とは本来、エデンの園で堕落せず、神様を中心としてアダム家庭が完全に愛し合って一つになったことを意味します。そのように家庭教会が始まり、家庭氏族教会、家庭国家教会に発展し、世界形態の家庭理想を備えた一つの世界になるのです。これが原理で教える思想です。家庭連合が家庭教会を主張でき、立てることが出来るという事実は、神様にとっても人類全体にとっても重要なことです。(天聖經 P. 941)
2. 「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」
(マタイによる福音書16章19節)
3. 先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか?死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高い所に行くのです。イエス様は、行って帰って来ることが出来ず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たり出来るのです。帰って来てからは、統一教会を訪ねて行くのではなく、家庭教会を訪ねて行かなければなりません。先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、家庭教会は神様が臨在出来る所であり、父母様が臨在出来る所であり、息子娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。家庭教会は、家庭のための社会的事務所です。(天聖經P.941)
4. 真の父母様は皆さんにメシヤという名を与えました。何の名前ですか?メシヤという名前!それで皆さんは氏族的メシヤです。このような祝福を私たちに与えられた事実です。真の父母様は代わりに我々が仕事をしなければいけないので我々に与えられた名前がメシヤです。氏族的メシヤという席に我々を立てて下さったし父母様に代わりに仕事が出来るようにして下さったことが分かります。ですから、私たちがメシヤという、氏族的メシヤという天国の鍵を受けた私たちとしてはより栄光であり、喜びであり、祝福であることです。これ以上もっと良い祝福はありません。私たちがこの世に罪人で生まれた立場がどうしてメシヤという標識を付けることが出来るでしょうか?私の氏族のメシヤという席はどのようにしたら探して行くことが出来ると思いますか?全てが真父母様の恩恵としか考えられません。ですから真の父母様は私たちにどのくらい尊い方であり、感謝すべき方でしょうか? (天聖經P.971)
5. イエス様は、亡くなって天昇する前に、ぺテロに天国の鍵を与えましたが、先生は、生きて天国の鍵を与えるのです。個人のために与えるのではなく、氏族を救うカギを与えるのです。皆さんは、家庭教会のメシヤになるのです。空論ではありません。地で成就されることは、そっくりそのまま霊界でも成就されるようになっています。宇宙のタイヤモンド鉱山のような所で、誰も沢山掘り起こすかというのは、皆さんの努力いかんにかかっています。宇宙のダイヤモンド鉱山を、統一教会の教会員が掘り当たるのです。家庭教会を掘り当てるのです。(天聖經 P.947)
6. 私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高と響き渡る、その日の為に行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。ご飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。(真の父母經 P.447)