『信仰する人の心!』
マタイによる福音書10章16節
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
マタイによる福音書5章8節
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
天聖經 P. 811
①信仰生活は、必ず傍観者の立場を脱皮しなければなりません。皆さんは今、先生に従っていますが、先生を中心として信仰生活するのではありません。皆さん自身を中心として信仰生活をするのです。ですから、信仰生活する人は、人がどうであろうと、自分一人が守っていくべき信仰の道があるのです。そのような信仰生活は、周りの人からは学べない深い心情の世界において、天を中心として一人で感謝する生活、一人で満足する生活が出来なければなりません。
そのようにできず、そのようなことを感じなければ、その反対の立場、この上なく悲しい立場で「私は罪人です。私は足りない者でございますので、勇気を与えて下さい」と決意して再起する、そのような期間を必ず持たなければならないのです。
②先生がこの地に来て、信仰の世界に残した内容は4種類です。神様と人間関係をはっきりさせました。責任分担と蕩減というものを歴史上、誰も知りませんでした。人間がなぜこのような姿になったかを知らなかったのです。これをはっきとさせておきました。次に、良心的な人は貧しく、悪人が良い生活をするのはなぜかということです。蕩減法、カイン・アベル問題を知りませんでした。その次には、人間が善を望むのに、なぜますます問題が悪くなっていくのかということです。これは血統問題、サタンの汚れた血のためです。血統問題を根本的に知らないために解決できませんでした。世界の問題がみな、この原理に引っ掛っています。
③今までの信仰生活、「私」一人を取り戻すためのものでした。失ってしまったアダムとエバと同じ立場で、原罪のない本然の個体を取り戻すためのものでした。今、神様が最後に願うことは何でしょうか。まずは、神様の愛を中心として、個体と個体を合わせた一つの家庭を取り戻すことです。さらには、神様が愛するその家庭を中心として、そこから広がる氏族を取り戻し、氏族と世界を取り戻そうというのです。これが神様の全体的なみ旨です。
④神様は、自分の教団を中心として信仰生活をするキリスト教徒を望みません。先生は統一教会という看板を付けていますが、「この看板をいつ取ってしまえるだろうか」と考えます。世界に広がっている統一教会の食口たちは、神様の恨を解こうと歯を食いしばって努力し、神様の困難の道を代わりに歩もうと、忠孝の心情で走っています。この仕事をして倒れるのを最高の基準として、決意して歩んでいる群れが統一家庭連合の食口たちです。このように行く道が恵みの道なのです。