『天一国時代の新しい文化』

マタイによる福音書9章16節~17節
 真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。だれも、新しいぶどう酒を古い袋にいれはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋も無駄になる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば、両方とも長持ちがするであろう。

天聖經 P.973
 イスラエル民族が、カナン七族の文化と伝統に従ったことが問題です。それで、イスラエル民族が滅びたのです。それが重要です。今は、違います。私たちが中心です。滅びゆく外の世界には希望がありません。「皆さんが唯一の希望だ」と言って、彼らが仰ぎ見るのです。皆さんが一つになって、今からはメシヤとしての責任を完遂しなければなりません。
 神様がヨシュアとカレブに語ったように、強く、雄々しくなければなりません。長子権復帰のために父母を有し、天を有し、すべてのものを備えたこの地上の基盤を持ったので、一気に押して行きなさいというのです。後ろから神様が支えてくれ、真の父母と真の家庭の力が要塞(ようさい)のように、後ろから皆さんを保護してくれるのです。一つの道へ前進さえすればよいのです。それが勝利する道です。

天聖經 P.978
 氏族的メシヤは、カイン・アベルの二つの一族を抱かなればなりません。自分の一族とカインの一族を抱かなければならないのです。イエス様を中心として見るとき、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭と同じです。この家庭が一つになれないことによって、イエス様が亡くなったのです。今は、家庭教会と氏族教会が必要です。ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つになったその上に、イエス様が立つのです。その氏族的メシヤに侍り、国家的メシヤに侍るようになれば復帰です。そのため、家庭教会は、カイン的教会として氏族的メシヤの基盤であり、アベル的教会は自分の一族です。この二つを合わせなければなりません。そうしてこそ、氏族的メシヤの使命が終わるというのです。

天聖經 P.976
 氏族的メシヤは、歴史的なすべての被造世界、人類の男性、女性、家庭のすべての種として、祝福してあげたのです。種だというのです。数多くの家庭が育ってきましたが、天地が必要とし、神様が必要とする家庭ではありませんでした。それは種ではありません。氏族的メシヤとしていきなさいというのは、皆さんの氏族のところに行って新しい種を植え、そこに生えているのが偽りのオリーブの木なので、これを切って接ぎ木し、真のオリーブの木が生える、真のオリーブの木の畑を作りなさいということです。その一族には、これ以上の福音はありません。国を探し出すよりも、世界を探し出すよりも、天地を探し出すよりも、もっと貴いのです。

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