『心の清い人々は、幸いである』
天聖經 P.379
私たちはよく、心がまっすぐだと言います。一直線に垂直に立ったものを、まっすぐと言います。木も横に傾いたものは、まっすぐとは言いません。心がまっすぐだというのは、垂直に立っているという意味です。ですから、人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。自分の心を完全に垂直にしなければなりません。そこにおいて、体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で形成されるとき、垂直において引く力と水平において押す力がバランスを取るようになり、求心力と遠心力が形成されるのです。
マタイによる福音書 5章8書
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
マタイによる福音書15章11節
口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。
エレミヤ書17章9節
人の心は何より欺きやすく、芯まで腐っている。それがどんなに悪質であるか、だれにもわからない。