『希望を抱えて 前に進もう!』

み言選集 第11巻 97ページ 「患難を与える理由」

神様は終わりの日が来れば、7年間の大患難があると予告しました。天の悲しい曲折が聖徒たちにぶつかる時です。人間たちの因縁がすべて崩れて行き、信じられない環境にぶつかる時です。いくら自分が良心的に正しく生きても、その良心を持って自分の生涯を主張することができない時です。志を抱き、考えがある者であればあるほど、眺める所々で苦痛を感じる時です。信じて従って行った指導者が揺れ動く時です。主義はもちろん宗教、良心、父母の心情までも全部がすべて揺れ動く時です。 
それでは神様はどうしてそのような世の中をつくっておかなければならないのか?それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためだからです。そのような患難の中でも神様を愛するという、そのような難しい立場でも神様とともに生きるという真の息子娘を捜すために、そのような時が来るというのです。だから皆さんは、教会が揺れ動くのを見ても悲しまず、何かしらの主義が動揺してしまうのを見ても悲しまずに、何かしらの主権者が倒れるのを見ても悲しまずに、自分の父母が変わっても悲しまずに、自分の兄弟が変わって落ちてしまったとしても悲しまないでください。
神様は動揺せずに、この時間も私を尋ねてこられているということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、ご自身の貴い一日、ご自身が経て来た苦痛の因縁を、私たちに結んでくれるための大きな約束であることが分からなければなりません。そのような立場で天をかき抱き、「一緒に行きましょう。一緒に戦いましょう。一緒に行動しましょう。」と叫んで立ち上がる人を捜すために、そのような世の中が必要だというのです。
だから皆さん、進む道が塞がってしまったと落胆しないでください。この国が乱れていると気落ちしないでください。神様は死ななかったのです。この世界がいくら沸き立つとしても落胆しないでください。神様は死んではいないのです。神様は必ず尋ねて来られるでしょう。すべてのものが動揺しても、一片丹心の心だけは動揺しないでください。
お父様の苦痛を私が知って、そのお父様は私の苦痛を知ってくださることを信じて、そのような立場でも行くという責任と義務を感じて出て行く皆さんならば、亡びることはないでしょう。

マタイによる福音書 16章 19節
「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう

天聖經P.941
先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか?死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高い所に行くのです。イエス様は、行って帰って来ることが出来ず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たり出来るのです。帰って来てからは、統一教会を訪ねて行くのではなく、家庭教会を訪ねて行かなければなりません。先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、家庭教会は神様が臨在出来る所であり、父母様が臨在出来る所であり、息子娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。家庭教会は、家庭のための社会的事務所です。

お母様の自叙伝 P.150~真の母に対しての長男(孝進様)のインタビュー
「母さんのどんなところを尊敬していますか?」孝進はためらうことなく答えました。「夫を支え、喜ばせる母の愛と不屈の精神を最も尊敬しています。世の母親は、みな偉大ですが、特に私の母は、私たちを絶対的に信じ、励ましてくれます。私はその姿にいつも深く感銘を受けています。世界的な仕事を担い、常に忙しくしている中で、十四人の子供を生んだことも本当に偉大だと思います。

お母様の自叙伝 P.148―「み旨のためにご苦労されている真のお母様!」
ただの旅行は楽しいものですが、ミッションを持って出発する旅路は、家を出た瞬間から緊張の連続で、心労が絶えません。また、旅先で豪華絢爛な宮殿に泊まっても、心は落ち着きません。そんな宮殿よりは、狭くても、自分の家で暮らすほうが気楽なのです。しかも、私が行くのは単なる旅行ではなく、ミッションを帯びた旅ですから否が応にも、緊張せざるを得ませんでした。

お母様の自叙伝 P.403
夫の聖和後、み言を地の果てまで伝え、世の中をかき抱くため、私は一心不乱に駆け回りました。口の中がただれて食事もできず、すぐにでも倒れてしまいそうな状態でも一時も休むことはありませんでした。夫との約束、「必ず私が成し遂げる」という誓いを常に心に留めながら生きてきたのです。

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