2020/11/29日曜礼拝
説 教 「喜びと感謝の生活」
説教者:車世鍾 教区長
み言訓読
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。(ローマ人の手紙8/19、21、22)
アダムとエバが神様に侍って暮らしていたエデンの園で、神様のために笑って暮らし、神様と共に相談して暮らさなければならなかったのですが、笑うことができず、相談できなかったことが堕落の動機になった、ということを皆さんは知らなければなりません。ですから、宗教者は、感謝の生活を中心とする所で神様と出会うことができるのです。不平不満を言う所では絶対に神様に出会えない、ということを知らなければなりません。(後天時代の生活信仰p147)
復帰の道においては、不平不満は絶対禁物である。許されない。絶対犠牲なる道で、泣き泣き行くとすればどうなるか。絶対服従しながらも、希望に満ちて喜んで行かなければならない。なぜ、そういう道を行かなければならないか? それは再創造の道であるから、希望の道を今行きつつある立場だから、喜ばざるを得ない。信仰の道は落胆を感じながら行く道ではありません。だから犠牲と苦労は、すべてを授ける器になるというんだね。(祝福家庭と理想天国Ⅱ p207)
復帰の道は、喜んで行かなければなりません。死の道も喜んで行ってこそ天が訪ねてくるのであって、憂鬱になり、嘆く立場で行くようになればサタンが付いてきます。殉教の道も、自分が天国に行くために殉教した人は、天国とは反対の立場に行きます。神様を解放して世界を生かすために「私」が殉教する、このようにならなければなりません。(天聖経p353)
喜びを感じれば、神様が「私」に対して関心をもって神様の愛の圏内に入っていきますが、この喜びをどのようにして実践するかが課題です。すべてのことが喜びであれば、喜ぶ自分自体にとどまることなく、すべての万物と共に和動することができ、それを万物の相対的喜びとして残さなければなりません。信仰生活も楽しく、神様のみ旨の道ですることも楽しくなければなりません。仕方なくやるのではいけません。どれほど難しくても楽しく思い、難しいと感じてはいけません。生活環境でこれを根づかせなければならないのです。(天聖経p353)
私たちには希望があります。天は私たちと共におられます。私たちは天の前にたくさん負債を負いました。その負債を私たちの子孫に残してはいけません。きょうのこの大会は、70 年前、この韓半島で起きた動乱について記念する大会です。天が、世界が共にあって、韓国の民主主義を守ってくださったので、今日、大韓民国が存在するようになったのです。このーつの例を見ても、いま今日、世界人類が皆ともに一つになって進む道は、真の父母を通して天の父母様が「私の息子だ、娘だ」と言って抱くことのできる位置に進むことです。その道だけが今日の人類が生きる道であることを、知らなければなりません。(天運の春風と真の孝子孝女の道p3)