2020/12/6日曜礼拝
説 教 「神霊と真理にあふれる池袋家庭教会」
説教者:車世鍾 教区長
み言訓読
神霊とは何ですか。一時的に配分された霊力や霊的な作用を意味するものではありません。真の愛を中心として霊界と人間世界が調和、共鳴を起こし得る神様の愛の力をいうのです。ために生きて投入する真の愛の生活を通して人の心に感動を与えることはもちろん、霊的世界の協力も得る運動が統一教会の運動です。(260-135)
聖書にもあるように、礼拝を受ける時は神霊と真理で受けなさいといいますが、それは何の真理ですか。何か、物理学の、ピタゴラスの原理ではないのです。ニュートンの原理ではないのです。そんな真理ではないのです。愛の真理です。その愛の真理の最高は何ですか。父と息子・娘、このように見なければなりません。神様が必要とするものは、お金や権力や知識ではなく、愛が必要なのです。(113-103)
初代教会の時は、異言を語り、神霊の役事を行い、預言を語るなど、ありとあらゆることがありました。このように初代教会で神霊の役事が多く起きることにより、その内容を知らない無知な人間が霊的な現象にあちこちでぶつかり、混乱するようになるので、それを防ぐために、「聖書のみ言が一番である」と言うようになったのです。聖書にも「終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう」(使徒行伝2・17)というみ言が出てきます。それで、初代教会で起きた現象が終末のキリスト教の歴史世界に現れ、四方で気が狂った、異端だと言われる群れが多く出てくるというのです。統一教会も、その中の代表的な一メンバーとして入っています。(天聖経p792)
祈祷と真理、神霊と真理で礼拝せよという言葉があります。それは何かというと、調和して一つになる場に入りなさいというのです。私たち人間は、霊界と肉界を調整しなければなりません。霊的世界の中央に立つべきです。真理の世界の中央に立って、調整し得る人間にならなければなりません。そのような人間にならなくては、完全な立場に立つことはできないのです。そうするには、霊的世界がどのように動いており真理とどのように関係を結ぶのかを知った上で霊界と関係を結ぶ生活をしなければなりません。神霊と真理は必ず一つにならなければならないのです。この調和が取れていなければなりません。なぜかというと、私たち人間自体がそのようになっているからです。(76-137)
私たちはどこで幸福を感じるのでしょうか。真理面で感じる幸福は一方向的です。それはなぜ一方向的なのでしょうか。霊と肉、神霊と真理について考えてみると、どちらが主体ですか。神霊が主体であり真理は相対です。相対的だということは一方向的だということです。真理を通して感じるものは変わります。しかし、神霊は変わりません。中心的であり、四方性を備えているので、変わらないのです。
それでは、どちらの面を通して感じる幸福が貴いのでしょうか。真理を通して感じるものは一方向的なので変わります。長く続かないということです。しかし、神霊を通して感じるものは中心的なので長く続きます。中心が二つになることはあり得ません。真理は神霊に対して相対的立場であり、神霊は主体的立場です。主体とは中心の位置を意味するので、中心が二つあることはあり得ず、一つだというのです。中心というのは四方と向き合える立場なので、その主体的中心的立場の神霊を通した喜びというものは永遠と連結されるのです。したがって、霊的な体験を通して感じたその喜びは、一生の間忘れることがありません。これは理論的に当然の結論です。(76-137)